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2021年11月29日月曜日

第11回 共産党宣言 共産主義の原理マルクス=エンゲルス著   マルルクスレーニン主義研究所訳   国民文庫=大月書店 の学習 共産党宣言 26ぺージ 1、ブルジョアとプロレタリア

 第11回 共産党宣言 共産主義の原理

 マルクス=エンゲルス著 

 マルルクスレーニン主義研究所訳 

 国民文庫=大月書店 の学習

共産党宣言 26ぺージ

1、ブルジョアとプロレタリア


ブ ル ジョアジーとは、近代資本家、すなわち社会的生産の諸手段の所有者で、また貸金

労働者の雇傭者の階級のことである。


 プロレタリア ートとは、自分の生産手段をもたない

ので生きるためにその労働力を売るほかない、近代賃金労働者の階級のと と で ある。

一八八八年英語版への エンゲル ス の 注]


すべてとれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である。


すなわち、すべての文書によってつたえられている歴史の。一八四七年には社会の前史,

記録された歴史の以前にあった社会組織は、ほとんど知られていなかった。


その後、ハクスタ ウ ゼンは、ロシアの土地共有制を発見し、マウツーは、土地共有制こそ、チュー ト ン種族が歴史に出発した社会的基礎であったととを立証した。


そしてしだいに、村落共同体が、インド からアイルラ ン ド まで の いたるところで、社会の原始形態であること、あるいはあったことがあきらかになってきた。


 この 原始共産主義社会の内部的組織は、氏族の真の性質、およびそれの部族にたいする関係にかんする、心からの仕上げとなるべき発見によって、その典型的な形態においてあきらかにされた。


この原生の共同体の解体ととに、社会は別々の諸階級、そしてついには相対立する諸階敵へ分化しはじめる。私は「家族、私有財産沿よび国家の起源』(第二版、一八八六年、シュトゥットガルト)のなかで この解体過程をあとづける試みをした。〔一八八八年英語版へのエンゲル ス の 注]


自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人、つまり抑圧するものと抑圧されるものとは、つねに対立し、ときには隠然と、ときには公然と、たえまない闘争をおこなってきた。


そしてこの闘争は、いつでも全社会の革命的改造におわるか、さもなければ、あいあらそ

う階級のともだおれにおわった。


※ギルドの親方とは、ギルドの正規の組合員、すなわちギルドに所属する親方のことで、

ギルドの か し らではない。〔一八八八年英語版へのエンゲル ス の注]

以前の歴史上の諸時代には、ほとんどどこでも、社会はいろいろな身分に完全に区分されており、社会的地位はさまざまな段階にわかれていた。


古代口ーマには、貴族、騎士、平民、奴隷があった。中世には、封建領主、家臣、ギルドの親方、職人、徒弟、》 農奴があり、なおそのうえ、これらの階級のほとんどいずれにも、さらにいろいろの階層があった。


封建社会の没落からうまれた近代ブルジョア社会は、階級対立を廃棄しはしなかった。それは ただ、新しい階級、新しい抑圧条件、新しい闘争形態を、古いものにおきかえたにすぎない。


けれども、われわれの時代すなわちブルジョアジーの時代の特徴は、階級対立を単純にしたことである。全社会は敵対する二大陣営に、直接相対立する二大階級にますます分裂しつつある。

すなわち、ブルジョアッーとプロレタリアートに。27ページ末


2021年11月27日土曜日

第10回 共産党宣言 共産主義の原理  マルクス=エンゲルス著   マルルクスレーニン主義研究所訳   国民文庫=大月書店 の学習

 第10回 共産党宣言 共産主義の原理

 マルクス=エンゲルス著 

 マルルクスレーニン主義研究所訳 

 国民文庫=大月書店 の学習

共産党宣言 25ぺージ


このように、一九四八年の闘いはむだではなかった。この革命時代からわれわれをへだてる四五年も、むだにすぎさったのではなかった。実は熟しはじめた。そして、なによりも私ののぞむことは、このイタリア語訳の刊行がイタリア・プロレタリア 1トの勝利のよい先ぶれとなることである。


ちょうど、原書の出版が国際革命の吉兆であったように。

『宣言』は、資本主義が過去に演じた革命的な役割をまったく公正にとりあつかっている。最初の資本主義国民はイタリア人であった。


封建的中世の終りと近代資本主義時代の始まりとは、ある偉大な人物によって区画されている。それは、中世最後の詩人であるとともに、近代最初の詩人でもあったイタリア人ダンテである。


一三〇〇年におけるように、いまや新しい歴史的時代がうまれつつある。イタリアは、この新しいブロレタリア時代の誕生の時をしらせる新しいダンテを、われわれにさずけてくれるであろうか?


フリードリヒ・エンゲルス

ロンドン 一八九三年一月一日


共產党宣言


一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、 共産主義の妖怪が。旧ョーロッパのあらゆる

権力が、この妖怪に対する神聖な討伐の同盟をむすんでいる。法王とツァーリ、メッテルニヒ

とギゾー、フランスの急進派とドイッの官憲も。およそ反政府党で、その政敵たる政府党から、共産主義だといってののしられなかったものがどこにあるか、およそ反政府党で、より進歩的な反政府派にたいしても、また反動的な政敵にたいしても、共産主義という烙印をおす非難をなげかえさなかったものがどこにあるか?


この事実から二つのことがあきらかになる。

共産主義は、すでにヨーロッパのあらゆる権力から、一つの力としてみとめられている。

共産主義者がその見解、その目的、その傾向を全世界のまえに公表して、共産主義の妖怪談に党目身の宣言を対置すべき時が、すでにきている。


こ の目的のために諸民族の共産主義者がロンドンにあつまって、つぎの宣言を起草した。宣言は、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、フランドル語およびデンマーク語で発表する。


2021年11月25日木曜日

第9回 共産党宣言 共産主義の原理  マルクス=エンゲルス著   マルルクスレーニン主義研究所訳   国民文庫=大月書店 の学習

 第9回 共産党宣言 共産主義の原理

 マルクス=エンゲルス著 

 マルルクスレーニン主義研究所訳 

 国民文庫=大月書店 の学習 


ポーランド語版序文 復習から20ページ

一八九三年のイタリア語版序文22ページ

ーイタリアの読者にー


欲求がつよまり、労働者のあいだには社会主義運動がひろまり、『宣言』にたいする需要が増加する。それゆえ、各国の労働運動の状態ばかりでなく、大工業の発展の程度は、その国語で普及している『宣言』の部数によって、十分正確にはかるととができる。


したがって、『宣言』の新しいポーランド語版もまた、ポーラ ンド工業の決定的な進歩を意味している。そして、初版発行後の一〇年間にこの進歩が実際におこったととについては、まったくうたがう余地がない。


ロシア領ポ ーランドすなわちコングレス・ポーランド〔一八一五年にウィー ン会議の決定でロシア領に併合された地方〕は、ロシア帝国の大工業地帯になった。


ロシアの大工業がばらばらにちらばっている一部はフィンランド湾のまわりに、一部は中

央諸県(モスクワ県とウラヂミール県)に、一部は黒海とアゾフ海の沿岸に、さらに他の大工業は他のところにのにたいして、ボーランドの工業は比較的小さな地域に集中されており、この集中からくる利益と不利益とを、同時にもっている。


競争するロシアの製造業者たちは、この利益をよくみとめて、すべてのボーランド人をロシア化しようとする彼らの熱心な希望にもかかわらず、ポーランドにたいする保護関税を要求した。


不利益―ポーランドの製造業者とロシア政府とにとってのは、ポーランド労働者のあいだにおける社会主義思想の急速な普及と、『宣言』にたいする需要の増大とにあらわれている。


ロシアの工業をすっかり追いこしているポーラ ンド工業の急速な発展は、しかしそれ自身、ポーランド民族のつきることのない生命力の新しい証明であり、きたるべき民族的復活の新しい保障である。


だが、独立した強大なポーラ ンドの復活は、ポーラ ンド人だけに関係のある問題ではなく、われわれすべてにとっても関係のある問題である。


 ヨーロッパの諸民族の真の国際的な協力は、これらの民族のおのおのが、各自の家で完全に自主的になるときに、はじめて可能である。


プロレタリア ートの旗のもとに、結局はブルジョアジーの仕事をプロレタリアートの闘士にさせたにすぎない一八四八年の革命は、同時に、その遺言執行人であるルイ・ボナパルトとビスマルクとによって、イタリア、ドイッ、ハンガリアの独立を実現した。


だが、一七九二年このかた、これら三つの国民を全部いっしょにしたよりもいっそう革命の事業につくしたポーランドは、一八六二年には、その力を十倍もとえるロシアの暴力にうちまかされ、見すてられてしまった。


 ポーランドの貴族は、ポーランドの独立をたもつととも回復するとともできなかった。ブルジョアジーにとっては、独立は、すくなくとも現在では関心をひかないものである。


それにもかかわらず、ポーラ ンドの独立は、ヨーロッパ諸国民の協力にとって必要なことである。ポーラ ンドの独立は、ポーランドの若いプロレタリアートによってのみ獲得されうるものであり、プロレタリア-トの手中にあるばあいにはじめて確実なものとなる。


なぜなら、ポーランドの独立は、ポーランドの労働者自身に必要であるように、ポーランド以外の全ョーロッパの労働者にとっても必要だからである。

フリードリヒ・エンゲルス

ロンドン 一八九二年二月十日

プー


一八九三年のイタリア語版序文

ーイタリアの読者にー

『共産党宣言』の発表は、一八四八年三月十八日、すなわちミラノとベルリンの革命と同じ日にあたっていたといってよい。


この革命は、一つはヨーロッパ大陸の、一つは地中海の中心にくらいする二民族の反乱であり、それまで細分と内部的なあつれきとでよわめられ、したがって外

国の支配をうけていた二民族の反乱であった。


イタリアがオーストリアの皇帝に隷属していたとすれば、ドイッは間接ではあったが、全口シア人のツァーリのひどい圧制のもとにあった。


一八四八年三月十八日の結果は、イタリアとドイツとをこの屈辱から解放した。そして、一八四八年から一八七一年にいたる時期に、これらの偉大な二国民が復興され、ある程度まで自由にふるまうととができたとすれば、これはカール・マルクスのいったように、一八四八年の革命を鎮圧したその当人が、自分の意志に反して、この革命の遺言執行人になったからであった。


 この革命は、どこでも労働者階級の事業であった。バリケードをきずき、生命をなげだしたのは、まさに労働者階級であった。


しかし、政府をたおすとともにブルジョアの支配をもうちたおそうとするはっきりした意図をもっていたのは、パリの労働者だけであった。


しかし、彼らが労働者階級とブルジョアジーとのあいだの避けがたい対立をどんなにはっきりと意識していたにせよ、それにもかかわらず、国内の経済的発展るブランスの労働者大衆の知的発達も、社会の改革を可能にする段階にはまだたっしていなかった。


だから、革命の成果は結局、資本家階級のものになってしまった。ところが、他の国々、イタリア、ドイツ、オーストリアでは、労働者は最初からただブルジョアジーが権力をにぎるのをたすけたにすぎなかった。


だが、どんな国でも、ブルショアジーの支配は民族的独立なしには不可能である。だから、一九四八年の革命のもたらしたものは、それまで民族の統一と独立とがなかった諸民族、すなわちイタリア、ドイッ、ハンガリアの統一と独立とであった。


ポ ーランドもいつか同じ道をたどるであろう。

このように、一九四八年の革命は、社会主義革命ではなかったにしても、社会主義革命のために道をならし、この革命のために土台をきずいた。ブルジョア支配はすべての国の大産業を高揚させるとともに、最近四五年間に、無数の、結集された、強力なプロレタリアートをいたるととろでつくりあげた。こうして、『宣言』のことばをつかうならば、ブルジョア支配は自分自身の墓掘人をつくったのだ。


各民族の独立と統一とが復活しなければ、プロレタリアートの国際的な団結も、共同の目的を達成するためのこれらの民族の平和な理解ある協力も、不可能である。


一八四八年以前の時代の政治的な条件のもとで、イタリア、ハンガリア、ドイツ、ポーランド、ロシアの労働者の共同の国際的な行動を考えてみるがよい!

共産党宣言

23


2021年11月16日火曜日

第8回 共産党宣言 共産主義の原理  マルクス=エンゲルス著   マルルクスレーニン主義研究所訳   国民文庫=大月書店 の学習 

第8回 共産党宣言 共産主義の原理

 マルクス=エンゲルス著 

 マルルクスレーニン主義研究所訳 

 国民文庫=大月書店 の学習 


20ページから


それゆえ、各国の労働運動の状態ばかりでなく、大工業の発展の程度は、その国語で普及し

ている『宣言』の部数によって、十分正確にはかるととができる。


したがって、『宣言』の新しいボーランド語版るまた、ポーランド工業の決定的な進歩を意味している。そして、初版発行後の一〇年間にとの進歩が実際におこったことについては、まったくうたがう余地がない。


ロシア領ポーランドすなわちュングレス・ポーランド[一八一五年にウィ1 ン会議の決定で ロシア領に併合された地方]は、ロシア帝国の大工業地帯になった。


ロシアの大工業がばらばらにちらばっている―一部はフィンランド湾のまわりに、一部は中

央諸県(モスクワ県とウラヂミール県)に、一部は黒海とアゾフ海の沿岸に、さらに他の大工業は他のところにーのにたいして、ポーランドの工業は比較的小さな地域に集中されており、この集中からくる利益と不利益とを、同時にもっている。


競争するロシアの製造業者たちは、この利益をよくみとめて、すべてのポーランド人を口シア化しようとする彼らの熱心な希望にもかかわらず、ボーランドにたいする保護関税を要求した。


不利益――ポーランドの製造業者とロシア政府とにとってのは、ボーランド労働者のあいだにおける社会主義思想の急速な普及と『宣言』にたいする需要の増大とにあらわれている。


 ロシアの工業をすっかり追いこしているポーランド工業の急速な発展は、しかしそれ自身、ポーランド民族のつきることのない生命力の新しい証明であり、きたるべき民族的復活の新しい保障である。

だが、独立した強大なポーランドの復活は、ポーラ ンド人だけに関係のある問題では、なく、われわれすべてにとっても関係のある問題である。


 ヨーロッパの諸民族の真の国際的な協力は、これらの民族のおのおのが、各自の家で完全に自主的になるときに、はじめて可能である。


プロレタリア ートの旗のもとに、結局はブルジョアジーの仕事をプロレタリア ートの闘士にさせたにすぎない一八四八年の革命は、同時に、その遺言執行人であるルイ・ボナパルトとビスマルクとによって、イタリア、ドイツ、ハンガリアの独立を実現した。


だが、一七九二年このかたこれら三つの国民を全部いっしょにしたよりもいっそう革命の事業につくしたポーランドは、一八六三年には、その力を十倍もこえるロシアの暴力にうちまかされ、見すてられてしまった。ボー ランドの貴族は、ポーラ ンドの独立をたもつととも回復するとともできなかった。


ブルジョアジーにとっては、独立は、すくなくとも現在では関心をひかないものである。


それにもかかわらず、ポーランドの独立は、ヨーロッパ諸国民の協力にとって必要なことである。ポーランドの独立は、ポーランドの若いプロレタリアートによってのみ獲得されうるものであり、ブロレタリアートの手中にあるばあいにはじめて確実なものとなる。


なぜなら、ポーラ ンドの独立は、ポーランドの労働者自身に必要であるように、ポーランド以外の全ヨーロッパの労働者にとっても必要だからである。


フリードリヒ・エンゲルス

ロンドン 一八九二年二月十日


2021年11月14日日曜日

第7回 共産党宣言  共産主義の原理 マルクス=エンゲルス著 マルルクスレーニン主義研究所訳 国民文庫=大月書店 の学習 18ページから

 第7回 共産党宣言  共産主義の原理 マルクス=エンゲルス著 マルルクスレーニン主義研究所訳 国民文庫=大月書店 の学習 18ページから


 共産主義者と名のっていた。それは、ただあらけずりの、ただ本能的な、往々いくぶんか粗雑な共産主義であった。しかしそれは、空想的共産主義の二つの体系、フランスではカベ- 

の「イカリア」共産主義、ドイツではワイトリングの共産主義をうみだすまでに有力なものであった。


 一八四七年には、社会主義はブルジョアの運動を意味し、共産主義は労働者の運動を意味していた。社会主義は、すくなくとも大陸では、サロンにもちだせるものであったが、共産主義は、それとは正反対のものであった。


 そしてわれわれは、当時すでに、まったく断固として「労働者の解放は労働者階級自身の行為でなければならない」という意見であったから、二つの名前のいずれをえらぶべきかということには、一瞬も疑問はありえなかった。


 そして、それ以後もわれわれは、この名前を拒絶しようなどと考えついたことはない。

「万国のプロレタリア団結せよ!」 いまから四二年まえ、プロレタリア ー トが自身の要求をかかげてあらわれた最初のバリ革命の前夜に、われわれがこのことばを世界にむかってさけんだとき、これにこたえた声はほんのわずかにすぎなかった。


 しかし一八六四年九月二十八日には、西ヨーロッパのたいていの国のブロレタリアは、輝かしい思い出をもつ国際労働者協会に団結した。


 インタナショナルそのものは、なるほどわずか九年しか生存しなかったけれども、それによってきずかれた万国のプロレタリアの永遠の同盟は、いまもなお生きており、しかもかつてなかったほど力づよく生きている。


 きょうとそは、なによりその証拠である。なぜなら、私がこの文章を書いているきょう、ヨーロッパとアメリカのプロレタリア ートは、はじめて動員されたその兵力、一つの軍隊として、一つの旗のもとに、一つの当面の目標―すでに一八六六年にインダナショナルのジュネーヴ大会で宣言され、さらに一八八九年のパリの労働者大会でふたたび宣言された、八時間標準労働日を法律で確立するととーのために動員された兵力の閲兵をおこなっているからである。


そしてきょうの光景は、万国のプロレタリアが今日実際に団結しているこ

とを、すべての国の資本家と地主とにしらせるであろう。


ああ、マルクスがいまもなお私とともにあって、とれを自分の目で見ることができたなら!

F・エンゲルス

ロンドン 一八九0年五月一日



一八九二年のポーランド語版序文

共産党宣言

『共産党宣言』の新しいポーランド語版が必要になったことは、いろいろと考えさせるものが党ある。

『宣言』は、最近ではある程度までヨーロッパ大陸の大工業の発展の指標となっていることを、なによりもまず注意しなければならない。


ある国で大工業が発展するにつれて、その国の労働者のあいだには、有産者階級にたいする労働者階級としての自分の立場をめきらかにしようとする要求が強まり、労働者の間に社会主義運動が広がり、『宣言』対する需要が増加する。20ページ2行目


2021年11月11日木曜日

第6回 共産党宣言  共産主義の原理 マルクス=エンゲルス著 マルルクスレーニン主義研究所訳 国民文庫=大月書店 の学習 16ページ

 第6回 共産党宣言  共産主義の原理 マルクス=エンゲルス著 マルルクスレーニン主義研究所訳 国民文庫=大月書店 の学習 16ページ



労働者の全体を一丸として、一大軍隊をつくる目的をもっていた。したがって、それは『宣言』にかかげた諸原則から出発するととはできなかった。


それは、イギリスの労働組合に対しても、フランス、ベルギー、イタリア、スペインのプルードン主義者にたいしても、ドイツのラッサール派にたいしてる、門戸をとざさないような綱領をもたなければならなかった。


この綱領――ィンタナシ ョナルの規約の理由文〔前文〕ーは、マルクスによって、バクーニンその他の無政府主義者たちでさえみとめたほど巧みに作成された。


『宣言』にかかげられた命題の最後の勝利については、マルクスは、共同の行動と討論とからかならずうまれてくるにちがいない労働者階級の知的発達に、ひとえに信頼をよせていたのであった。


資本にたいする闘争の経過と変転は(成功よりもむしろ敗北は)、たたかう人々に、これまでの彼らの万能薬の不十分なことをはっきりさせ、彼らの頭脳に、労働者解放の真の条件にたいする根本的な洞察を、いっそううけいれやすくせずにはおかない、というのであった。


そして、マルクスはただしかった。一八七四年、インタナショナルが解散したときの労働者階級は、一八六四年、インタナショナルが創立されたときの労働者階級とはまったくちがったものになっていた。


ラテン諸国のプルードン主義、ドイツの独自のラッサール主義は、死にたえかけていた。そして、当時のきわめて保守的なイギリスの労働組合でさえ、一八八七年にそのスウォンジーの大会で、その議長がそれらの組合の名で、「大陸の社会主義は、もう恐ろしいものではなくなった」といえるところまで、しだいにすすんできた。


ところが、その大陸の社会主義とは、すでに一入入七年には、はとんどまったく、『宣言』に公布された理論にほかならなかったのである。


 このように、『宣言」の歴史は、ある程度まで、一八四八年以来の近代労働運動の歴史を反映している。現在では、それは、うたがいもなく、全社会主義文献中の、もっともひろく普及した、もっとも国際的な著作であり、シベリアからカリフォルニアにいたるあらゆる国々の幾百万労働者の共通の綱領である


※ラッサ ールは、個人的には、われわれにたいしていつもマルクスの「弟子」であること

を告白し、その点で、もちろん『宣言』の土台のうえに立っていた。だが、国家信用に援

助される生産協同組合という彼の要求以上にすすまず、全労働者階級を国の扶助をうける

者とみずからたすける者とにわけた彼の信奉者たちについては、話はべつである。


しかし、この『宣言』が発表されたとき、われわれはそれを「社会主義宣言」と名づけるわけにはゆかなかった。一九四七年には、社会主義者とはつぎの二種類の人々のことであった。


一方では、いろいろな空想的学説の信奉者、とくに、イギリスのオーウェン主義者、フランスのフ ーリエ主義者のことであり、この両者とも、もうその当時には、しだいに死滅しつつあるたんなる宗派に萎縮してしまっていた。


もう一つは、いろいろな万能薬とあらゆる種類のつぎはぎ細工と党によって、資本や利潤をすこしも傷つけずに社会の弊害をとりのぞこうとする種々さまざまな社会的山師とのことであった。どちらのばあいにも、労働運動の外部にあって、むしろ「教養ある」階級に支持をもとめていた人々であった。


これに反して、たんなる政治的変革の不十分なこ

とを確信して、社会の根本的な改造を要求していた労働者の一部分、この部分は、当時みずから共産主義者と名のつていた。18ページ1行目


2021年11月8日月曜日

第5回 共産党宣言 共庵主義の原理 マルクス・エンゲルス著 マルクス・レーニン主義研究所訳 国民文庫=大月書店の学習 p14~15

第5回 共産党宣言 共庵主義の原理 マルクス・エンゲルス著 マルクス・レーニン主義研究所訳 国民文庫=大月書店の学習 p14~15 


ロンドン

一八八二年一月二十一日


ポーランド語の新訳 Manifest komunistyczny が、これと同じころにジュネーヴで出版さ

れた。


さらにデンマーク語の新訳が、『社会民主主義文庫』(コペンハーゲン、一八八五年)として出版された。


それは、惜しいことにあまり完全でない。訳者に困難だったと思われる若干の重要な箇所がはぶかれており、その他にもそこここに不注意のあとが見うけられた。


訳者がもうすこし念をいれればすぐれたものをつくれたであろうということが、との仕事についてみとめられるので、このような痕跡はいっそう不愉快に感じられる。


一八八六年に、フランス語の新訳がパリの『ソシアリスト』誌に出た。それは、いままでに出たもののなかでもっともすぐれている。


それについで、同じ年にスペイン語訳が、 最初はマドリードの 『ソシアリスト』 誌に発表され、のちに小冊子として発行された。Manifiesto del Partido Comunista por Carlos Marx

y F. Engels, Madrid, Administración de El Socialista, Hernan Cortés 8 がそれである。


おもしろいことを書きそえておこう。一八八七年にアルメニア語訳の原稿がュンスタンティノプルの一出版業者にもちこまれた。けれども、この男は、マルクスの名の書いてあるものを印刷する勇気がなかった。


そこで出版業者は、訳者に、いっそ自分で著者と名のるがよいと言った。

が、訳者はそれに同意しなかった、ということである。

いずれもあまり正確でないアメリカ訳がいろいろとなんどもイギリスで印刷されたのち、ついに一八八八年に信頼するにたる訳があらわれた。


それは、私の友人サミュエル・ムーアの手になり、印刷されるまえに、われわれふたりがいっしょにいまいちど目をとおしたものである。その表題 Mani,esto of the Communist Party, by Karl Marx and Frederick Engels.Authorized English Translation, edited and annotated by Frederick Engels, 1888,London, William Reeves, 185 Fleet st. E. C. である。その版の注の二、三のものは本版にも転用した。


『宣言』は独自の経歴をもっている。それがあらわれたときには、当時なお少数であった科学的社会主義の前衛から熱狂的に歓迎された(第一の序文にあげたいろいろな翻訳がしめすように)が、まもなく、一八四八年六月のパリ労働者の敗北とともにはじまった反動によって背後におしゃられ、一八五二年十一月のケルン共産主義者にたいする有罪判決によって、ついに「法律党上」禁制の書と宣告された。


二月革命にはじまる労働運動が公けの舞台からきえさるとともに『宣言』もまた背後にしりぞいた。


ヨーロッパの労働者階級が、支配階級の権力にむかってあらたな攻撃ができるほどにふたたび強力になったとき、「国際労働者協会」がうまれた。それは、ヨーロッパとアメリカの戦闘的な労動車全体を一丸とした。



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