第5回 共産党宣言 共庵主義の原理 マルクス・エンゲルス著 マルクス・レーニン主義研究所訳 国民文庫=大月書店の学習 p14~15
ロンドン
一八八二年一月二十一日
ポーランド語の新訳 Manifest komunistyczny が、これと同じころにジュネーヴで出版さ
れた。
さらにデンマーク語の新訳が、『社会民主主義文庫』(コペンハーゲン、一八八五年)として出版された。
それは、惜しいことにあまり完全でない。訳者に困難だったと思われる若干の重要な箇所がはぶかれており、その他にもそこここに不注意のあとが見うけられた。
訳者がもうすこし念をいれればすぐれたものをつくれたであろうということが、との仕事についてみとめられるので、このような痕跡はいっそう不愉快に感じられる。
一八八六年に、フランス語の新訳がパリの『ソシアリスト』誌に出た。それは、いままでに出たもののなかでもっともすぐれている。
それについで、同じ年にスペイン語訳が、 最初はマドリードの 『ソシアリスト』 誌に発表され、のちに小冊子として発行された。Manifiesto del Partido Comunista por Carlos Marx
y F. Engels, Madrid, Administración de El Socialista, Hernan Cortés 8 がそれである。
おもしろいことを書きそえておこう。一八八七年にアルメニア語訳の原稿がュンスタンティノプルの一出版業者にもちこまれた。けれども、この男は、マルクスの名の書いてあるものを印刷する勇気がなかった。
そこで出版業者は、訳者に、いっそ自分で著者と名のるがよいと言った。
が、訳者はそれに同意しなかった、ということである。
いずれもあまり正確でないアメリカ訳がいろいろとなんどもイギリスで印刷されたのち、ついに一八八八年に信頼するにたる訳があらわれた。
それは、私の友人サミュエル・ムーアの手になり、印刷されるまえに、われわれふたりがいっしょにいまいちど目をとおしたものである。その表題 Mani,esto of the Communist Party, by Karl Marx and Frederick Engels.Authorized English Translation, edited and annotated by Frederick Engels, 1888,London, William Reeves, 185 Fleet st. E. C. である。その版の注の二、三のものは本版にも転用した。
『宣言』は独自の経歴をもっている。それがあらわれたときには、当時なお少数であった科学的社会主義の前衛から熱狂的に歓迎された(第一の序文にあげたいろいろな翻訳がしめすように)が、まもなく、一八四八年六月のパリ労働者の敗北とともにはじまった反動によって背後におしゃられ、一八五二年十一月のケルン共産主義者にたいする有罪判決によって、ついに「法律党上」禁制の書と宣告された。
二月革命にはじまる労働運動が公けの舞台からきえさるとともに『宣言』もまた背後にしりぞいた。
ヨーロッパの労働者階級が、支配階級の権力にむかってあらたな攻撃ができるほどにふたたび強力になったとき、「国際労働者協会」がうまれた。それは、ヨーロッパとアメリカの戦闘的な労動車全体を一丸とした。
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