第9回 共産党宣言 共産主義の原理
マルクス=エンゲルス著
マルルクスレーニン主義研究所訳
国民文庫=大月書店 の学習
ポーランド語版序文 復習から20ページ
一八九三年のイタリア語版序文22ページ
ーイタリアの読者にー
欲求がつよまり、労働者のあいだには社会主義運動がひろまり、『宣言』にたいする需要が増加する。それゆえ、各国の労働運動の状態ばかりでなく、大工業の発展の程度は、その国語で普及している『宣言』の部数によって、十分正確にはかるととができる。
したがって、『宣言』の新しいポーランド語版もまた、ポーラ ンド工業の決定的な進歩を意味している。そして、初版発行後の一〇年間にこの進歩が実際におこったととについては、まったくうたがう余地がない。
ロシア領ポ ーランドすなわちコングレス・ポーランド〔一八一五年にウィー ン会議の決定でロシア領に併合された地方〕は、ロシア帝国の大工業地帯になった。
ロシアの大工業がばらばらにちらばっている一部はフィンランド湾のまわりに、一部は中
央諸県(モスクワ県とウラヂミール県)に、一部は黒海とアゾフ海の沿岸に、さらに他の大工業は他のところにのにたいして、ボーランドの工業は比較的小さな地域に集中されており、この集中からくる利益と不利益とを、同時にもっている。
競争するロシアの製造業者たちは、この利益をよくみとめて、すべてのボーランド人をロシア化しようとする彼らの熱心な希望にもかかわらず、ポーランドにたいする保護関税を要求した。
不利益―ポーランドの製造業者とロシア政府とにとってのは、ポーランド労働者のあいだにおける社会主義思想の急速な普及と、『宣言』にたいする需要の増大とにあらわれている。
ロシアの工業をすっかり追いこしているポーラ ンド工業の急速な発展は、しかしそれ自身、ポーランド民族のつきることのない生命力の新しい証明であり、きたるべき民族的復活の新しい保障である。
だが、独立した強大なポーラ ンドの復活は、ポーラ ンド人だけに関係のある問題ではなく、われわれすべてにとっても関係のある問題である。
ヨーロッパの諸民族の真の国際的な協力は、これらの民族のおのおのが、各自の家で完全に自主的になるときに、はじめて可能である。
プロレタリア ートの旗のもとに、結局はブルジョアジーの仕事をプロレタリアートの闘士にさせたにすぎない一八四八年の革命は、同時に、その遺言執行人であるルイ・ボナパルトとビスマルクとによって、イタリア、ドイッ、ハンガリアの独立を実現した。
だが、一七九二年このかた、これら三つの国民を全部いっしょにしたよりもいっそう革命の事業につくしたポーランドは、一八六二年には、その力を十倍もとえるロシアの暴力にうちまかされ、見すてられてしまった。
ポーランドの貴族は、ポーランドの独立をたもつととも回復するとともできなかった。ブルジョアジーにとっては、独立は、すくなくとも現在では関心をひかないものである。
それにもかかわらず、ポーラ ンドの独立は、ヨーロッパ諸国民の協力にとって必要なことである。ポーラ ンドの独立は、ポーランドの若いプロレタリアートによってのみ獲得されうるものであり、プロレタリア-トの手中にあるばあいにはじめて確実なものとなる。
なぜなら、ポーランドの独立は、ポーランドの労働者自身に必要であるように、ポーランド以外の全ョーロッパの労働者にとっても必要だからである。
フリードリヒ・エンゲルス
ロンドン 一八九二年二月十日
プー
一八九三年のイタリア語版序文
ーイタリアの読者にー
『共産党宣言』の発表は、一八四八年三月十八日、すなわちミラノとベルリンの革命と同じ日にあたっていたといってよい。
この革命は、一つはヨーロッパ大陸の、一つは地中海の中心にくらいする二民族の反乱であり、それまで細分と内部的なあつれきとでよわめられ、したがって外
国の支配をうけていた二民族の反乱であった。
イタリアがオーストリアの皇帝に隷属していたとすれば、ドイッは間接ではあったが、全口シア人のツァーリのひどい圧制のもとにあった。
一八四八年三月十八日の結果は、イタリアとドイツとをこの屈辱から解放した。そして、一八四八年から一八七一年にいたる時期に、これらの偉大な二国民が復興され、ある程度まで自由にふるまうととができたとすれば、これはカール・マルクスのいったように、一八四八年の革命を鎮圧したその当人が、自分の意志に反して、この革命の遺言執行人になったからであった。
この革命は、どこでも労働者階級の事業であった。バリケードをきずき、生命をなげだしたのは、まさに労働者階級であった。
しかし、政府をたおすとともにブルジョアの支配をもうちたおそうとするはっきりした意図をもっていたのは、パリの労働者だけであった。
しかし、彼らが労働者階級とブルジョアジーとのあいだの避けがたい対立をどんなにはっきりと意識していたにせよ、それにもかかわらず、国内の経済的発展るブランスの労働者大衆の知的発達も、社会の改革を可能にする段階にはまだたっしていなかった。
だから、革命の成果は結局、資本家階級のものになってしまった。ところが、他の国々、イタリア、ドイツ、オーストリアでは、労働者は最初からただブルジョアジーが権力をにぎるのをたすけたにすぎなかった。
だが、どんな国でも、ブルショアジーの支配は民族的独立なしには不可能である。だから、一九四八年の革命のもたらしたものは、それまで民族の統一と独立とがなかった諸民族、すなわちイタリア、ドイッ、ハンガリアの統一と独立とであった。
ポ ーランドもいつか同じ道をたどるであろう。
このように、一九四八年の革命は、社会主義革命ではなかったにしても、社会主義革命のために道をならし、この革命のために土台をきずいた。ブルジョア支配はすべての国の大産業を高揚させるとともに、最近四五年間に、無数の、結集された、強力なプロレタリアートをいたるととろでつくりあげた。こうして、『宣言』のことばをつかうならば、ブルジョア支配は自分自身の墓掘人をつくったのだ。
各民族の独立と統一とが復活しなければ、プロレタリアートの国際的な団結も、共同の目的を達成するためのこれらの民族の平和な理解ある協力も、不可能である。
一八四八年以前の時代の政治的な条件のもとで、イタリア、ハンガリア、ドイツ、ポーランド、ロシアの労働者の共同の国際的な行動を考えてみるがよい!
共産党宣言
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